晩 餐 会

オレのブログって、晩餐の取扱説明書みたいなもんだからな。

随想~新型コロナウイルスの流行に寄せて~

前回の更新からだいぶ日をまたいでしまった。
気付いたら丸一年も更新していなかったらしい。

忙しかったのか、忘れていたのか、あえて書こうとしなかったのか。

本当なら今の時期も激務に晒される予定だったのだが、世間を騒がせている新型コロナウイルスの波は僕の職場にも訪れた。
不意に定時での帰宅を命じられ、まとまった夜の時間が手に入ると戸惑う。
だから今日は、一年ぶりにブログを更新することで、少し自分自身との対話をしたいと思う。


ここ一年は、あえて忙しくいることで何も考えずに走り続けることだけを考えてきた。
石川啄木の「何事も思ふことなく いそがしく 暮らせし一日を忘れじと思ふ」を座右の銘というか、自分なりに生活のテーマにして暮らしてきた。

正直心身共に疲弊した感じがする。
なんというか、職場にいても、家にいても、外出先にいても常に息苦しいのだ。
コロナウイルスの肺炎という意味ではなく、何をしても閉塞感を感じ続ける、そんな、常にムカムカとした思いが胸の内に渦巻いていた。

でも最近思うことがある。
ちょっと前、それこそこのウイルス騒動が始まる前くらいまでは、自分が発狂寸前の状態、首の皮一枚でマトモな人間でいられている非常にキワドイ状態だと思っていた。
しかし世間が狂い始めてくると、自分が全然狂っていない、平常な人間に思えてきた。
自分が狂っていると思い込む、そんなものはただの自己陶酔、狂人を耽美的に語りたいだけの、いい歳こいた中二病のようなものだった。
坂口安吾のように堕落を美学にまで高めるほどの達観もない、子供じみた狂人ごっこ


このブログを書き始めた頃の文章と比較すると、同一人物が書いたと思えないくらい文体が違う。
僕は躁鬱気質なところがあって、書く文章もテンションによるところがあるけれど、ここ一年くらいはずっとテンションが低かったような気がする。
楽しいと思えることや、何かに期待を持ってワクワクするということができなくなったのだ。
それは年齢によるものなのかもしれないし、社会の閉塞感によるかもしれないし、多忙によって神経を擦り減らしている為かもしれない。

別に僕は悲観主義者じゃない。
前向きと言うほどじゃないけれど、物事はなるようにしかならないし、できるだけ良い方向に向かうよう努力はすべきだと思っている。
ネガティブシンキングを制するのはポジティブシンキングなどという虚勢ではなく、ロジカルシンキングだと思っているから。


人を信じられなくなった。
何というか、素直に接することができなくなった。

職場の人は、尊敬はしていても、いずれは辞める会社の同僚の域を超えない。

友人は、ただ酒を煽って過去を美化して語り合い、傷を舐め合うだけの哀しい関係にしか思えなくなった。

恋人はいるにはいたが、愛せなかった。肥大化し過ぎたエゴに支配された僕は「彼女の為」という考えができなかった。

両親と仲は良いものの、あろうことか内心バカにするような心が芽生えてきた。
「そんなことも分からないで生きてきたのか」「またマスメディアに踊らされて」のような、さも自分の方が世知に長けたかのような捉え方で常に会話するようになった。

あれほど外国語を必死に学んで交流しようとしていた外国人を、どこか避けるようになった。
根本的に「合わない」人達だから、付き合うだけ疲れると思い始めたからだ。

誰かを利用しようとか、貶めようとかいう、所謂悪い感情を持つようになったわけではない。
ただただ、所詮は他人、自分とは別の存在、どうやっても理解しあえないという諦めしか抱かなくなった。
だから僕は人の言うことは素直に聞く。
でもそれは素直に心を開く気が全くないからに過ぎない。


何かに期待することができなくなった。

挑戦に対して胸の高鳴りなどはなく、機械的に目標を設定して、淡々とスケジュールをこなし、達成したら次の目標を置く。
結果をありのまま受け止めるので達成できなくても落ち込むことがないのは、ある意味いいことなのかもしれない。

新技術、新しい思想、運動、そういったものには要らぬ心配をすることが多くなった。
例えば自動運転。
高齢者の激増と移動手段の不足、人手不足の解消など考えれば、僕は自動運転の導入は肯定している。
ただ自動運転が(特にこの日本で)受け入れられるまで、乗り越えるべき障害を想うと気が滅入る。
別に僕が滅入る必要もないのだが、この国の雁字搦めの利権や、人権団体などの気色悪い悲鳴を想うとしんどくなってくる。

今まで続けていた趣味は新鮮さを感じなくなり、多くの道具も処分した。
そしてこれから新しい趣味を始めるような予定もないし、始めたいとか探したいとかいう気持ちもない。

何かにすがるというと宗教も思い浮かぶ。
神社の御祈祷、お寺で座禅、教会でミサも参加したことがある。
ただそれらの宗教を信仰しているかと言われたらそうでもない気がする。
なんというか、コレクションなのだ。
多くの宗教・宗派を知っていることが、僕の教養のガラスケースを満たしてくれる、それだけのことなのだ。


高校生の頃、僕は森鴎外の「諦念」という考えが受け入れられなかった。
諦めてどうすんだよと。
叶わないとしても、どうにかしようと頑張ってこその人生だろうと。

ただ今の僕は、鴎外の気持ちが分かるなんて高尚なことは言わないけれど、何となく「諦念」が掴めてきた気がする。
もう何もかも諦めている。

なんとなく寂しくて話し相手が欲しい夜もある。
でも根本的に僕は他人を必要としていないし、一緒にいたところで変に疲れるだけだと気づいた。

新しいことを始めてみたら何かが変わるんじゃないかと淡い期待を抱くこともある。
ただ実際は「こんなもんか」で終わって、何一つ感動を残さないまま、フェーズが終了する。
経験を積んでいるだけでも前に進んではいるのかもしれないけれど。

例えば政府への愚痴、会社への愚痴、言おうと思えばいくらでも言える。
でもそれは結局自己責任。
自分の意志で政府に従い、自分の意志で会社に通っている。
やれることをやりはするけれど、自分の力じゃどうにもならない領域はもう諦めるしかない。
今回のウイルス騒動も、半ば諦めの、早く終息すれば御の字くらいに考えている。
勿論その為に、今の僕にできること(外出自粛と手洗いうがいマスクアルコール消毒くらいだけれど)をする。
それ以上でも以下でもないんだ。


誰かと会えるはずなのに、何かをできるはずなのに、できなくなっていた僕に、世間は「自粛」という形で合わせてきた。
そうなると、狂っていると思っていた自分の基準に世間が合わせてきたようで、相対的に僕は何とも無かったんだという気になる。

ただ、感染の恐怖に怯えながら満員電車に揺られて通勤し、退勤後は寄道せず帰り、週末は外に出ない。
文字通り働く為だけに生きてる。(働くこと自体を否定しているわけではない)
こんな生活を一年、ヘタすりゃもっと繰り返していたら、経済が破綻するのは勿論だが、そもそもみんな狂うと思う。


外出自粛要請のあった先週末、思う所あって断捨離がてら部屋の掃除をした。
するとボロボロの段ボールの中から、学生時代に小説サークルで出版した機関紙が出てきた。
当然僕の書いたこっぱずかしい小説もでてきた。
当時10代だった僕がお花畑のような脳みそをフル回転させて書いた、青臭くて、甘酸っぱくて、それでいて救いようのない、けれど健気な恋愛小説だった。
そこには人の死を扱っているシーンもあった。
(自分で書いた小説なのにどこか他人事なのは、それくらい今の僕の精神が当時の僕とかけ離れてしまったからだろう)

10代の僕がどういうつもりで死の要素を取り入れたのかはわからない。
小さい頃から生と死とか、宿命とか、そういったやや重いものを取り入れた作品が好きだったから、先達に倣っただけなのかもしれない。
ただ、そこには死を受け入れて前に進む主人公達の姿が描かれていた。

そんな過去の自分の作品を見て、現状を鑑みる。

明日には身近な人が発症するかもしれない。
明後日には自分が発症するかもしれない。
明々後日には亡くなる知り合いが出るかもしれない。

志村けんの訃報にショックを受けた日本人はとても多いだろう。
だって信じられないもの。
あのバカ殿様が、流行り病でアッサリ逝ってしまうなんて、想像もつかない。
でも現実はこういうものだった。
死と言うものがいつかは必ず訪れる者と知りながら、その来訪は実は明日だったり、ヘタすりゃ今日これからだったりする。
その恐怖(と言うより現実感のない事実を突きつけられたショック)を、日本だけじゃなく世界中の人々が感じ始めている。


この文章を通して僕が伝えたいメッセージなんてものは特になくて、あくまで随想でしかない。
ただまとめるような内容を書くとしたら、僕も、日本も、世界も、転換期に来ているのだろうと言うこと。
おそらく旧来のやり方では早晩行き詰まる。
それは社会構造であったり、法律であったり、ライフスタイルであったり、宗教や思想だったりするかもしれない。

別にイノベーションを起こすような、爽やかな、澄み渡ったような新時代の訪れなんてものは期待していない。
歴史を振り返っても、泥水を啜る中で、やむを得ず人類や社会は変化してきた。

例えば戦後日本。

ジャパンアズナンバーワンとして20世紀後半に我が世の春を謳歌するまでには、多くの犠牲を払った。戦中に生命は勿論、衣食住、文化、イデオロギー、あらゆるものが破壊しつくされた結果、戦後はひたすら創造し続けるしかなくなった

例えば思春期。
子供から大人になる時期、誰もが青春、即ちポカリスエットのCMのようなみずみずしさを想像するだろう。
でも実際は青春はもっと暗く、ジメジメして、思い出したくもない物事も多い。

ただそれらを乗り越えなければ、より過酷な社会に船出する地力は着かない。


今の僕は変わらなくちゃいけない。
人は一朝一夕に変われるほど簡単にできていないけれど、いつか人を信じ、未来を信じられるようになるには、この時期を乗り越えるしかないという、直観がある。
システム開発の現場でも、過渡期っていうのは一番しんどい。
僕は、そして世界は一つの過渡期にさしかかっている。
そんな気がしてならない。

今を生きろ

凝りだすと長くなるから、短めにいきます

www.youtube.com

二回連続胡散臭いリンク貼られたなと思わないでください。

人生で自分にとってのきっかけというか、マインドが変わるタイミングがあると思います。

僕にもいくつかそういったものがありますが、

↑の動画もその一つです。

 

当時の僕は前職で精神的に追い詰められていて、

毎朝吐きそうになりながら出勤していました。

自律神経失調症なこともあって、

満員電車で失神しかけたことも2回あります。

でも辞めたい辞めたいと思いつつ、辞めれなかったんです。

勿論経済的な事情や諸々の理由はありましたが、

一番は怖かったんです。

新卒で入った会社でしたが、3ヵ月もしたら辞めたくなっていました。

ただ、すぐ辞めることへの罪悪感、根性無しとみなされる不安、

何より辞めた後の事を想像できない恐怖即ち未来への恐怖がありました。

 

そんな時、↑の動画をたまたまYouTubeで見つけました。

視点が変わったんです。

今の会社に居続けなきゃいけない理由なんてない。

過去の範例というか、風習に流される必要なんてない。

ただ必要なのはこれからの時代を生きていく力。

 

それから、すぐにというわけではありませんが、

一つ一つ自分にできることを進めて行って、

今エンジニアのキャリアをスタートしています。

全てはこれからの時代を生きていく力をつけるためです。

 

少子高齢化という国自体の問題だけでなく、

より自由な海外との交流そして後進国の怒涛の経済成長といったグローバル化の影響は

もはやどんなド田舎に住んでいても逃れることはできないでしょう。

後生大事に貯めていた日本円が、今までと同じ価値を持つとも限りませんし、

東京の地価もどうなるものか分かりません。

 

信じられるのは自分だけです。

勿論周囲の支えがあってこそですが、あくまで一人で食っていく力が必要です。

このぬるま湯な日本社会がいつ沸騰するかなんて誰にも分らないのだから、

今できることをすることが大切なんです。

それは未来への対策としてではなく、

今すぐ強くなるための成長を求めることなんです。

 

↑の動画でホリエモン

「未来を悲観することはないです。未来は皆さんの心がけしだいだと思っています。

僕は老後のことなんて考えない。老後のことは、老後になってから考えましょう。

いくら準備してたって、50年後のことなんてわかりっこないですよ。~(中略)~

だから未来の事を考えることなんて意味が無い。」
と述べた後に

「未来には楽しい事しかないと思います。

それはどうやったら楽しくできるか。

それは今を一生懸命生きることです。~(中略)~

これから生きていく上で必要なことは、

僕は目先のことに集中することだと思います。

長期計画なんて関係ないんですよ。

まずそれをやってください」

と続けています。

 

僕の中学生時代の友人はこう言いました。

「今が楽しいを毎日続けたら一生楽しいじゃん」

これは刹那主義に似て非なるものなんです。

刹那の連続という、人生を線ではなく点で見る視点なんです。

浅い川の中に鎮座している、飛び石のような感覚なんです。

 

また僕の大好きな三島由紀夫はこう言っています。

*******

小説家にとっては今日書く一行が、テメエの全身的表現だ。

明日の朝、自分は死ぬかもしれない。

その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。

その一行に、自分の中の集合的無意識に連綿と続いてきた"文化"が体を通じてあらわれ、定着する。

その一行に自分が"成就"する。

それが"創造"というものの、本当の意味だよ。

未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。

三島のいうことには未来のイメージがないなんていわれる。

バカいえ、未来はオレに関係なくつくられてゆくさ。

オレは未来のために生きてんじゃねェ、オレのために生き、オレの誇りのために生きてる。

******

 

未来は結果でしかなく、その結果は過程からしか生まれない。

ジョジョ5部のラストバトルはジョルノがディアボロに勝利することで幕を閉じますが、

このシーンにも似た解釈ができると思っています。

即ちゴールドエクスペリエンスという<経験>が、

キングクリムゾンの<結果>に対して勝利する。

もっと言えばゴールドエクスペリエンスレクイエムという<過程が続く>能力が

<結果>に対して勝利する。

 

勝利という言い方は極端かもしれません。

ですが資本主義社会では、結果が過程に勝るというのが

基本的な考え方だと思っています。

投資家の方が圧倒的に労働者より上ですよね?

それは苦労という過程ではなく発生した利益という結果だけが評価基準だからです。

 

僕は常に結果だけを求めてきた人間です。

今でもそのスタンスは変わりません。

しかし結果を求めるあまり、最短経路に固執したり、

不要と思われるものを切り捨ててきたりしました。

しかしこの頃、そんな生き方がしんどくなってきました。

頑張った割りに結果が出ないと尚更ですよね。

 

そして今を生きるということは、今この一瞬にある一期一会を、

遠回りでも不要に思えても泥臭く常に掬い続けることなのではと思い始めたのです。

何故なら結果だけ求めても望んだ結果が得られることの方が稀だから。

もし常に結果が出ることが分かり切っているなら、

今ではなく未来にリソースを注ぎ続けるでしょう。

当確の宝くじを買うようなものだから。

 

富野由悠季は「アニメ監督になりたいなら映画や演劇や絵画などアニメ以外の一流の芸術に触れろ」と言います。

また鈴木敏夫は「若者は夢を持つな。そんなどうなるか分からないことよりも、今目の前のことを情熱をもってやれ」とまで言っています。

 

僕は自由にこだわり続け、将来的な自由を掴む為に現職をスタートしました。

それは間違いだとは思っていませんし、今後の可能性も感じています。

 

しかし、例えば独立やフリーランスと言った

メディアで取り上げられることの多い形のライフスタイルばかりを羨望し、

何か本質的なことを見失っているのではないかとも思う時もあるのです。

 

一昔前、といっても僕が前職にいた2016年頃は

クラウドソーシングが今後のワークスタイルのスタンダードになる」

と言われていました。

法や制度等含めまだ整備されていないからかもしれませんが、

そこまで普及しているとは思えないのが現状です。

 

でもこれって、ただ単に普及が遅れているっていうわけでもないんですよ。

単価が低いんです。非常に。

で、クライアントによりますが、

低賃金のフリーに対して求めるハードルもなかなか高い。

根無しのぺんぺん草に一般会社員と同じレベルの責任を追わせるというのも変な話です。

(仲介業者がいるのである程度は責任の転嫁はできるかもしれませんが、

あくまで傭兵が集うギルド管理者でしかないので関与しないでしょう。フリーランサーの語源が傭兵ですしね)

 

会社という守ってくれる存在もない中、

安値で自分のスキルを買い叩かれる人もいるのが現状です。

(あくまで一例ですし、諸外国では同様ではないかもしれません)

賃金も安定しない、労働時間も安定しない(まあこれは本人の効率にもよりますが)、

福利厚生は皆無で社会的信用も弱くローンの審査も通らない

(この辺もそれを理解した上でフリーランスしてるとは思いますが)。

でも明日食う飯の種は稼がないといけない。

つまり、現代の小作制であることが露呈しつつあるのです。


リスクに対してリターンが見合ってない。

これは日本人が労働者を完全にナメきっていることに起因するので、

一朝一夕には変わることは無いでしょう。

そう考えると、僕がメディアから植え付けられた、

「理想の社会人生活」みたいなものは幻想か何かだったのではと気づくようになります。

 

日本の製品は安価で優秀、安価で美味しいが当たり前の世界です。

それは世界的に評価されてしかるべきですが、

結局それは数知れぬ労働者の犠牲の上になりっていて、

それを当然とする国民性が異常なのです。

僕は土曜日の夜に見る新宿の美しい夜景は

社畜たちの命の灯」

と教えられました。

 

僕はこの国が大好きですし、上記のような国民性を持っていることも事実です。

完璧主義かつクソマジメな日本人なら、

安価だろうと不良品売りつけるわけにはいきませんもんね。

何が言いたいかと言うと、ヨソでうまくいった事例があることとか、

ウチでもやればうまくいきそうっていうことも、

結局ウチでそうなるかと言えば違うっていうことです。

 

僕はオプティミストですが 、

こういう希望的観測は往々にして的外れなものになると思っています。

ちなみに声を大にして言いたいのは、

オプティミズムはムリヤリ全てを前向きに捉える陽キャな考えではなく、

 「まだマシ」と捉えるフラットな思想です。

ロクでもないけど救いが無いでもない、

そんな世界で起こることの一つ一つに大局的な良いも悪いも無いんです。

 

2年ちょっと前にチヤホヤされていた思想とか構想が、

陳腐化どころか煙たがられていくようなご時世です。

IT業界だからと思うかもしれませんが、
たぶんほとんどの業界にも言えることだと思います。

 

だからこそ未来の為に生きるんではなく、今の為に生きるんです。

変化のスピードはすさまじく、時流を読める人は一握りですし、

彼らもその流れの行く末まで見通す目は持っていません。

今は外的要因が多すぎるんですもん。

四方八方から風が吹き、地震も起これば海底火山も噴火する、

そんな荒れた海で波は読めませんし、読めても二手先三手先です。

 

だからいつでも時流に乗れるよう、今自分を鍛える。

できることから、海が近くにないなら丘サーフィンから始める。

ビッグウェーブはいつ来るか読めないものですが、

来た時には乗れるようになってないといけないんでね。

 

Syamuさんだって2014年を必死に生きたから、

今の大物YouTuber生活があるんだし。

 

「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」

全然短くねえじゃねえかお前んブログぅ!

そういえば

静岡の、伊豆に行ってきた...(Syamuさん風)

さっきの長文ブログで長く語る元気なくなったので画像+解説だけで。

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風雲文庫(ヤバさ:★★☆)

第三帝国の遺産が極東の同盟国に流れ着いてるってよ。

絶対ウヨサヨともにわめきだすから

都内の博物館とかにはおいておけないタイプだなぁこりゃ。

案内してくれた割烹着のおばあさんが礼儀正しすぎて逆に怖くなった。

見える人にしか見えない店に迷い込んだ的な。

 あと道分かりにくいし駐車場迷うよ。

 

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まぼろし博覧会(ヤバさ:★★★)

俺の人生ベスト3に入るヤバさ。

ほんとはもっと★あげたいくらい。

以前尊敬する東京別視点ガイドで取り上げれてて、

社長の松澤さんが価値観変わるレベルと絶賛してた場所。
テレビでもきゃりーぱみゅぱみゅのオススメスポットとして人気に。

無責任なもんオススメすんなよ。

R指定のPVも撮影されててファンの聖地と化している。

中身については触れない。

 

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怪しい少年少女博物館(ヤバさ:★☆☆)

いやね、ここも十二分に狂ってるよ?

でも前二つが頭おかしすぎて拍子抜けしたのは否めない...。

順番の問題かねぇ、お化け屋敷はおもしろかった(KONAMI)。

 

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門脇つり橋(ヤバさ:なし)

吊橋は下撮影しようとするとスマホ落としそうで怖い。

 

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下田の街並(特になし)

 

f:id:dernier-vincent:20190311011147j:plain田牛サンドスキー場(ヤバさ:★☆☆)

思ったより滑らないよ。

ポケット中砂だらけだったし、
コンタクトの中にまで砂入ってきたから目めっちゃ痛かった。

 

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堂ヶ島(ヤバさ:★☆☆)

磯の方に歩いて行けるエリアあるんだけど、

ここ歩かすのってくらいゴリゴリの絶壁よじ登る必要あるよ。

 

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土肥金山(ヤバさ:★☆☆)

佐渡に続く産出量を誇った金山。

三菱傘下であらゆるところに三菱マーク。

画像は20kmの金塊持ち上げてみようってコーナー。

これむっちゃキツイねんマジで。

金塊の表面がぬるぬるして掴みにくいから、

指に握力掛けにくくて、その時いた客で俺しか持ててなかったからね。

行く機会があったら是非持ってみて俺の凄さ実感してほしい。

 

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伊豆極楽園(ヤバさ:★★★)

家族経営の仏教にまつわるミュージアム

怪しさ満点だが、解説の息子さん(?)がイケメンで説明もうまくて、

一気に安心感が生まれた。

ただいちいち地獄の描写が恐ろしいので

小さい子供は連れて行かない方がいいと思う。

17世紀に書かれた往生要集の実物を直接触ることができたのは

貴重な機会だったと思う。

真言立川流(キアラ様でご存知?)に関わる展示室もあるが、

こちらは18禁。

前述の意味合いも含めて家族連れではオススメしない。

 

東京・名古屋から近く、自然と珍スポ豊かな伊豆、

皆さんも訪れてみては?

土肥金山の金塊はマジでチャレンジして俺の凄さ分かって。

ちょっとだけ気合入れなおした話

お久しブリーフ(レ)

全開お恥ずかしながらメンヘラモード晒してたわけですが、
何となく頭の切り替えができてきました。

先月までは仕事が過去最高に忙しくて、

脳味噌が正常運転してなかった感もあったんですが、

書いていたことは割と本心です。

未だに悩んでます、みんな抱える悩みなのかもしれないけど。

別に仕事が辛いっていう次元の話じゃないんです、

生きるために働くことが仕事なわけですが
(この生きるという意味のレンジは必要最低限の生存から
より豊かな生活を求めることまで包括します)
働いてまで生きて何になんの?

っていうx軸にy軸掛けた話なんです。

極論生きる意味的なよくある話になるんですが、
まず僕は生きる価値はないと思っています。
なぜならそれぞれの命は絶対的なもので、
相対的にどっちが貴くてどっちが賤しいとか無いからです。
そんで意味についてですが、これも実存主義的に無いでしょう。
いや、正確に言えば「決まった意味」が無いというだけで、

後天的にそれぞれが自己を規定するもんだと思ってます。
「俺が生まれてきたのはギターを弾くためだ!」とかね。

 

結局は楽しんだもん勝ちなんですよ。
パスカルの言う気晴らしにふけれるかどうかが全てです。

それがゴリゴリに夢を追おうと、のんびり趣味をしようと、

一人で自由に生きようと、温かい家庭を望もうと、

死ぬまで気晴らしできるもんの勝ちです。
パスカル
「天の国はあるか分からないとして、
信じていれば死後に天の国があった場合の恩恵を考えると期待値は無限、
だからみんな信仰しよう」

とも言っていました。
禁欲的な神への信仰、あえて厳しさに身を置く修行僧の生活、
厭世的な隠者のような暮らし、その全てが気晴らしです。
パスカルは気晴らしの一案を提案しているとも言えるんですね。

 

何をやっても道半ばで「あ、これ違うな」とか「なんか飽きたな」って、
僕は試食だけして買わないんですよ、気晴らしを。
最近は試食すら遠慮しがちですが。

そんな僕が少しだけ前向きになれたきっかけ1

www.youtube.com

この曲を数年ぶりに聞いてハッと目が覚めたような気がしました。

ビリージョエルは大好きで、大学生の頃よく聴いてました。
Pianomanって曲を聴くと、

秋葉原にあった Nowhereってバーによく通ってたのを思い出します。
KIICHIって当時のアイマスPには有名なお店があって、
そのお店が閉店後に定員さんが独立して始めたお店でした。

もうKIICHIの閉店も7年前になるのかぁ...授業サボって500円のランチ食ってたなぁ。

Nowhereは店内BGMでアイマスが流れ出すと、
お客さん達が(僕含む)光る棒振り回しだしたっけ。
懐かしいなぁ...(;ω;)


本題に入りますが、このI go to Extremesって曲はタイトル通り、
極端にしか生きれない男の不器用さが燻し銀に描かれた曲です。
僭越ながら意訳を... 

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Darling I don't know why I go to extremes.
Too high or too low there ain't no in-betweens.
ダーリン、俺はなんでこうも極端になるのか分からないんだ。
高すぎるか低すぎるかで中間ってもんはないんだ。


And if I stand or I fall.

It's all or nothing at all.

Darling I don't know why I go to extremes.

立つか落ちるか。
全てを手にしているか何も持っていないか。

なあ、なんで俺はこうも極端になるんだろうな。

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勝手に思うんです。

僕の人生みたいだなぁって。

そりゃみんなうまくいく時もあればいかない時もあります。

ただこの曲は、ただ山あり谷ありを歌っているだけには僕には思えないのです。

単純に妥協できないんですよ。欲深い人間なので。

過去の記録を塗り替えなきゃいけないんです。本能的に。

以前より面白い生活に、以前よりワクワクする生活がないとやってらんないんですよ。
以前を下回る人生なら今ここで終わった方が美しいんですよ。
醜く老化し太って駄作を作り続けるくらいならロックスターは27歳でさっさと死んだ方がいいんですよ。
the Cureロバート・スミス
デヴィッド・ボウイHeroesを出した後死ねばよかった」

と言って問題になりましたが、僕が持ってるのはそのセンスなんですよ。
(不快に思われた方がいたらすみません。僕はボウイも大好きですが、ロックスターっぽさを出したかったので話の引き合いに出しました)

 

この曲は自虐的で、皮肉的で、寧ろそれを笑ってるんですよ。

「俺の人生こんなんだぜ?笑えるだろ?」

ってちょいワル親父が大人の余裕を見せつけてくるんです。

この曲を久しぶりに聴いた時、

答えのない問いで日がな一日イライラしている自分がダサくて笑えてきました。

the Whoピート・タウンゼントの名言に

「ロックンロールは俺達を悩みから解放しはしない、悩んだまま踊らせるんだ」
ってものがありますが、まんまです。
僕は今悩みの中で踊り狂っているんです。

 

前向きになれたきっかけ2

www.youtube.com

なんや自己啓発くさい動画貼られてんなと思ってもブラウザバックしないでください。

僕も最初は胡散臭く感じましたが、結構面白い事言っていますよ。

 

僕は普段Youtuberの動画を見るんですが、

そんときにあなたへのオススメでこの動画が出てきました。

与沢翼は結構好きなので、興味本位で開いてみたのですが、

結構カナヅチでぶん殴られたくらいの衝撃ありましたね。

 

ホリエモンは大好きで尊敬はしているけど周りに気を遣わな過ぎて

「このオッサン相変わらず子供やなぁ」と思うこともしばしば。

イケハヤは僕が転職したきっかけですが、

最近あれこれ手を出しているけどどれも鳴かず飛ばず

才能の無さが露呈してきてる感じ。

 

いわゆる「意識高い系」のやり玉に挙げられる人は沢山いますが、
僕と感性が似ていると思うのは与沢翼と落合陽一ですね。

今から話す中に出てくる人は色々カテゴリ分けますけど、

皆さんのカリスマは前提とした上で、特に否定する意味合いはないですからね。

 

与沢と落合は変人扱いされているけどギリ変人じゃないんですよ。
「無意識下で変人というキャラクターを欲している」常人なんです。

僕が同類だから分かるんです。
まあ実際変ですが、ナチュラル50%というところでしょう。

本当の変人は他人にどう思われようとか気にしない変人なので。

そしてホリエモンやイケハヤ、これは凡人です。

才能無いけどものっすごい努力できる人達なんですよ。

サイバーエージェントの藤田さんは凡人ですが

人から好かれるっていうまた別の才能の持ち主ですね。

ゾゾの前澤さんは...まあ凡人でしょう。

常識から離れたくて仕方がない焦りみたいなのが滲み出ちゃってますもんね。

BNF、これは天才です。運もあります。なんらかの神様に愛されてますね。

 

そんで与沢の何が好きかって、そのキャラクターなんですよね。

一発当てるまでの徹底的な計算、そして大一番で全振りする大胆さ。

大海原の下でふつふつとしてるマグマみたいな

冷静さの中にある熱さが隠し切れない感じ...。

僕ですね。勝手に重ね合わせてすみません。

こちらも前置きが長くなりましたが本題に入りましょう。

 

以下一部抜粋

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何故人が動けないかというと、刺激を受けていないからなんですよ。
よく僕の人生を振り返ってみると刺激を受けまくってきたんですよ。
その刺激って何が与えてくれるかっていうと人しかないんですよ。
人だけが刺激を与えられます。
モノも場所も刺激を与えられますけど、究極で言うと人です。
そして刺激を浴びれば浴びるほどもはや他の選択肢っていうのはなくなってくるんです。
で、俺はこうなりたい、そうなるとその他の選択肢がないんですよ。
ブレちゃうと、つまりそれが良いなと思ってる程度じゃダメなんですよ。
そこだけしか見えなくてそこだけしか追及しなければモノになんてならないんですよ。

異性もそうだと思うんですよ。
ちょっといいなと思ってもそこまで誠意って尽くせないと思うんですよ。
完璧に他の選択肢がなくなった段階で圧倒的な誠意って尽くせるようになるんです。

ビジネスもそうです、他の選択肢がある時はムリなんですよ。
だから僕らの場合はRich or Dieって言うと、それカッコつけてるでしょって言われるんですが申し訳無いんですが本当なんですよ。
稼ぐか死ぬかなんですよ、それ以外の選択肢が無いんです。
就職するとか、他に何か安泰の道を探るのか、稼ぎ続けていくのか、もう人生辞めるのかって話なんです。
だから非常にマインドがブレません。


僕もね、社員さんとか見て、モチベーションが上がるとか下がるとかよく見ます。
だけど根本的な決断ができている人はモチベーションは変わらないんですよ。
だから僕、明確に言いますけど、決めた日あるじゃないですか、22歳の時です。
そこからモチベーションが上がったとか下がったとか無いんですよ。
いっつも一定なんです。
それくらい冷静に自分の目標が定まっていて、それ以外の、
妥協するっていうことは、死に値するので、できないんですよ、モチベーションが下がるなんてことは。
常に一定にしなきゃいけないんです。
全ての成功の原因っていうのは、はっきり言いますはじめに、マインドです。
完全に決断とか意志の力が根底にあります。
後は何とでもなります。
そのベースのところができてなければ、いくらテクニックを学んだりとか、ちょこちょこ何かに手を出しても、無駄に終わるから止めた方がいいです。
それは動かない方がいいです。

******************************************************************************
長いのでまとめると

「人から強烈な刺激を受けて、それ以外の選択肢を失くせ」

「異性もビジネスも妥協は死と同値」

「妥協は死って思うくらいのマインドが無いなら、

 小細工を覚えたり手数を増やしても無駄」

 

全くもってその通りだわー。

妥協は死だわー。

楽器もPCも服も妥協したもんはすぐ処分して結局良いモン買っちゃうし。

すんごい失礼な言い方をしちゃうと、

ZARAとかHARE買うならユニクロGUでいいんだよなー。

その数千円の差が必要とは思えない。

インナーはそんなんだけどアウターだけゼニアとかバーバリーとかなんだよね、
中身のつまってない男丸出しやわぁ。

 

だ・か・ら

妥協は止めようと思いました。

中途半端な金を使うなら普段節約して豪快に。

何かを始めるからには一定の成果を上げるまで終わらないつもりで。

異性も「付き合ってから良さに気付ければいい」みたいに自分を騙すのやめます。

惚れる人を探し続けて、惚れたら全力で薔薇の花束贈ります(くらいの意気込み)。 

 

最後に

ずっと思ってた。

自分の人生はピエロだなぁって。

なんかね、学生起業しましたとか青年海外協力隊行ってきましたとか、

そういうヒーロー役じゃないんだよね。

他人からいい意味で笑われて、そんで笑われることに快感を覚えてんの。

「変」を演じてるのが心地よい人生なの。

ヒーローや仲間達、悪役には隣に立っている人がいるけど、

ピエロは舞台の上でずっと一人。

敵でも味方でもないから、何にも縛られず生きていけるんだけどね。

ダーリン、俺はなんでこうも極端なんだろうな?


長文ご高覧ありがとうございました。

輝ける日々にサヨナラしたい

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「あの頃は良かった」から卒業したい

このブログ始めてからたぶん初になると思われるメンヘラ記事です。

僕が某SNSに投稿していた内容を転載します。

テーマは「過去の楽しかった日々をずっと引きずっている自分がいる」というものです。
このブログ向けに書いた内容ではないのでだいぶ攻撃的な口調になっていますが
ご了承ください。

 

長いのでお覚悟を

過去を美化したってしょうがないのは分かってるんだよ。
でもね、あの頃が楽しすぎて、もう一度あの頃みたいな気持ちになりたいって
何とも言えない焦りがずーーーっと続いてるんだよ。
輝ける日々すぎて、どうしても今の惨めな自分と比較しちゃうんだよ。

 
未熟な俺にとってこの気持ちは「足るを知る」なんて
高尚なお考えでごまかせるもんじゃないんだよ。
この気持ちを塗り替えることができるのは自分しかいないって分かってるんだよ。
努力するしかないって分かってるんだよ。
でも努力した先にあの頃と同じ輝きがあると信じきれないから、
結局何も本気になれないんだよ。

 

長続きしようとしなかろうと、いろんなことに興味持って、
今持てるリソースをつぎ込んで夢中になれたあの頃。
今は興味すら持てないんだよ。
熱しやすく冷めやすいんじゃなくて、ずーっと冷めっぱなし。
いい歳だから若い頃みたいなエネルギー量保てないってのは分かるんだけど、
にしても若い頃との温度差が酷くて正直キツイ。

 

そんで、毎日とは言わないけど家と会社の往復の日々、
精神がどんどん死んでいくのが分かる。
休みの日は疲れて寝る。
予定があれば外に出るけど、今はもうイベント
(アニメとかアイドルとかに限らず行事全般)があっても
「どうせ行ってもねぇ」みたいな理由付けて出かけ無くなってる。
まあ実際金も無いしね。
週明けに疲れが残ることへの恐怖みたいなものもある。

 

以前、ていうかちょっと前までは「今週乗り切ったらイベントだ!」とか
「お金貯めて旅行行くぞ!」とか自分の鼻先に人参ぶら下げて仕事頑張れた節があるんだよね。
でもさ、その人参が効果なくなってきてんの。
飽きたのか疲れたのか分かんないけど、モチベ向上につながらないんだよ。

そうなるといよいよ何の為に働いてるのか分からなくなってくる。
働くことは生きる為だとしたら、何の為に生きればいいか分からなくなってくる。
ここまで来ると自分でも考えすぎだって気づいて、
疲れるからこの話は止めようとか自分の中で無理に完結させる。
完全に思考停止してロボットになった方がラクな気がしてさ。

でもまあそれって自分騙して生きてるわけで、
心の中のシコリは残りっぱなしなわけね。
まあ生活してるだけでそのモヤモヤで気持ち悪くなってくるわけよ。
「気楽に生きてたまに暇潰しすればいーじゃん」って思うかもしれないんだけど、
その暇つぶしですらもれなくつまんなくなってきたんだよどうしようこれ。

 

意識高い系は仕事辞めて海外旅しろって言うんだろうけど
そんな金ねーし外人嫌いだから絶対やだよ。
独立しろって言うんだろうだけどじゃあ開業・運転資金くれよって話だよ。
そもそも旅も自分磨きも飽きたから、そんな月並な解決法求めてねーんだよ。

 

彼女欲しかったのもほぼそこなんだよね。
あまりにも人生つまらな過ぎて、
もう娯楽じゃなくて義務を背負いたいと思っただけなんだよ。
自分の娯楽の為じゃなくて、
誰かの為にって目的意識持って生きてみたら何か変わると思っただけなんだよ。

「デートあるんで定時で帰ります」「記念日に何か買ってあげよう」
「旅行で何処に連れて行こう」みたいな、
相手本位で生きてみるって俺にとっては新しい試みだったから、
それがこのハリのない生活の起爆剤になるもんかと思ったんだよ。

 

ちょっと前に東京以外の街で暮らしてみたいって言ってたと思うけど。
最近はその気持ちも薄れてきた。
確かに新しい環境で生活してみたいって好奇心はあるよ。
でもそれって俺が上京してから住居を点々としてきたことと
ほぼ同じ結果になるんじゃないのって話。
変化を愉しめるのは最初だけで、後はルーティンがまた始まるだけ。

じゃあ一生点々とすればって話だけど、
もうこの歳になるとその手の話にワクワクもしないんだよね。
「そんな引っ越してどうすんの?」って。
「海外移住しました♡」←「だから何?」みたいな。
新生活の先にある虚しさみたいなのもが透けて見えてきちゃうんだよもうこれ病気だろ。

 

金があれば変われるのかなぁ。
まあ資金不足を理由に手を出せなかった系のことに挑戦できるのはあるよ。
まず独立してアキバに事務所構えるでしょ。
後はザギンのキャバクラでクリュッグとかアルマンド空けたりさ。
幌全開でカマロ乗り回して、
意味もなく日本中に乱立してる別荘に松坂牛でBBQしに行ったりさ。

でもそれも楽しいの一瞬だけな気がすんだよなぁ...。
経験したことないから断言できないけど。
金持ちほど募金するって気持ち何となくわかるわ。
自分で使っててもしょうがなくなってくるんだろうな。
そうなると出家とかそういう話になってくるけど、
あれこそ何が楽しくて生きてるんだって感じだしな、禅問答か?

 

この滅びゆく国家で向こう60年(医学の進歩的にもっと長い?)生きるのは辛いなあ。
だからって海外に住みたいとも思わないけど。
高い税金以上に現地人と全くもって仲良くできる気がしないから。
まあどこも中国人とインド人と東南アジア人で埋まるだけだから
人間関係は国家間で変わらないかもな。

 

弱い人間やなぁホンマ。
迷ってないで行動したら結果が出て、
意外と活路が見えてくるかもしれへんっちゅーのに。
そんでダメだったら別の方法を試すって風に、
トライ&エラーでPDCAグルグル回せば何かしら掴めるかもしれないのに。

 

ここで某友人の顔が思い浮かぶんだよなぁ。
その友人は彼女欲しさから、出会いを求めてやれ怪しい異業種交流会だ
やれリア充の闊歩する社会人サークルだやれ偽善猿共の馴れ合い地域ボランティアだ、
結構長い期間あちこち飛び回っていた。
その果てに得たモノが「俺はこの女が好きだ」と自己暗示かけないと
付き合っていられない彼女。

虚しいね。虚しい。
もし彼が今の彼女と結婚したとして、それで彼が幸せだと言い切ったとして、
俺は彼の中にある底知れない物足りなさ・満ち足りなさを見抜く自信がある。
だって俺と彼は思考回路がクリソツだからな。
何をしたって満たされないのさ、ずーっとそれで苦しんでる。

ロジカルに考えすぎるあまり、坊さんみたいに欲を捨て去るなんて考えを
素直に受け入れられない。
欲がないと人間は成長できないと思ってる節あるからな。
実際には欲がないからこそ成長した大器っていうか、
偉い人とか素敵な大人とかいっぱいいるんだけどさ。


常に目標って餌を目掛けて、速度は遅かれ早かれ、
一応走り続けているって前提がないと生きられないんだ。
目標を失って止まった瞬間、脳味噌がこんがらがった挙句、
腹を水面に浮かべてプカーっと死ぬマグロなんだ俺達は。
彼はきっと出会いを求めている間は、ダメだった時の目標として
「次の出会いのステージ」を設定することで走り続けていたんだ。
そしてドンドン新しいコミュニティを開拓していった。
その行動力には脱帽するわ素直に。


ハッキリ言って俺は敗者だよ。
完全に。
何を言っても負け犬の遠吠え。
別に争っていたわけじゃないけれど、
上記のやり方で彼女をゲットした彼、つまり結果を出した人間に
偉そうに並べられる御託なんて持ち合わせちゃいないさ。
だから「彼は本当は虚しいはずだ」なんて俺の勝手な想像は、
たぶん彼にとって不快なだけの、自分より下位レイヤーの男の嫉妬だろう。

 

これまた別の某友人が「晩餐は理想が高い」って言ってたけど、
やっと意味が分かってきたよ。
それは美人だとか、性格良いとか、
そういうスペック的な理想だけを言ってるんじゃないってこと。
「俺はドラマみたいな恋愛像って理想を追いかけて、
本気で好きになれる人が来るのをずっと待っているから
目の前に来たチャンスを逃す」って言うのが俺の気付いた新たな解釈。

 

たぶん「付き合ってみたら好きになるかな」から始められないタイプなんだよな。
付き合った先の虚しさが垣間見えるから。
もう以前血眼になって連絡先好感した女の子達とも連絡とってないしね。
向こうから切られたのもあるけど。
たぶんあの頃は女の子口説くのが言語ゲームとして新鮮で面白かったんだな。
つくづくクズやで。

 

 

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ここで俺の好きな三島由紀夫の言葉をかいつまんで紹介。
*******************************************************************
~(中略)~
 それでも、人間の生命というのは不思議なもので、
自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない。
 というのは、なんか人間は理想なり何かのためということを考えているので、
生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
 すると、死ぬのも何かのためということがかならず出てくる。
それが昔言われた“大義”というものです。
 そして、大義のために死ぬということが、人間のもっとも華々しい、
あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方と考えられていた。
 しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態というものは
大義なんてものがいらない政治形態ですから当然なんですが、
それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、
生きていることすら無意味であるというような心理状態がないわけではない。
*******************************************************************

上記から導き出せる答えは、

この俺の人生のつまんなさは俺のエゴから来ているから、エゴを超えるもの、
つまり全てを捧げられるくらい夢中になれる何かか、愛せる誰かがいれば、
このクソみたいな底辺生活もイキイキするんじゃないかなんて淡い期待を抱いただけの話なんです。
そしてそれは今のままでは掴めないモノなんです。
運が良けりゃ話は別だけど。

 

この長い話の大筋としては
「過去の栄光にすがっていても今は楽しくならないので、
今を変えようと頑張りたいところだけど、
頑張った先の虚しさがチラ見えしてイマイチやる気が起きないんですよねー。
夢中になれる何かがある/誰かがいることで変われるかもしれないけど、
それを探すのはオッサンにとってはなかなか重労働です」ってこと。 

神室町ヒルズのてっぺんから百億降ってくるとか、空から美少女降ってくるとか、
そんな0%じゃないけど天文学的に低い可能性に賭けたってしょうがないでしょ。
「おもしろきこともなきよをおもしろく」で、
今つまんねーならおもしろくなるよう頑張れよ。
それがオッサンにとって重い腰を上げることによる腰痛を伴うものでも。

 

くっせぇなお前...

冬の、こういう予定のない三連休とか寂しい時期になると、
↑の文章みたいなメンヘラこじらせます。
小さい頃から深く考えすぎな子供で、
死後の自分について考えだしたら止まらなくなり、
親に相談しながら号泣していたこともあります。
大学時代はドイツ哲学専攻していたこともあり、現職はSE。
生まれてこの方、考えてばっか・悩んでばっかの人生を送ってきました。

皆さんは何を考えて生きていらっしゃいますか?
「特に何も考えずに生きている」という人はそれでいいと思います。
それは才能です。
余計な雑念を排除し今を生きることのできる、才能です。

僕は自分を不満足なソクラテスとは思っていません。
この世界に従順でいることを渋々承諾しつつ、
内心では満たされない思いにもがき苦しむ、不満足な豚です。
悪いトコ取りの存在です。

皆さんは仏教の六道における 餓鬼道というものをご存知でしょうか。
刃牙道ちゃいますよ)

地獄の存在有無はこの際置いておいて、
今の僕の心境だけなら餓鬼道みたいな感じです。

ずーっと飢えと渇きに苦しみ、やっと手に入れたと思えた飲食物。
喉を通ったと思いきや、全く持って満たされない。
次から次へと飲食物を求めて彷徨うけれど、何を食べても、
いくら飲んでも、一向に満たされない。

何が怖いって、この苦しみの終わりが見えないことなんですよ。
いつかは満たされる日が来るだろうと思っていても、
そのいつかは保証されていない。
来ないかもしれない、そう考えると希望なんか持てない。
夜と霧じゃないけど、希望が無いと生きる力が失われていくんです。

希望がない=常に不安や恐怖や焦りが胸の中にうずまいてる状態なわけです。
その一例として挙げられるのが、こんな寒い真冬の深夜、
六畳間で独りのSEがのたうちまわっているこの構図です。

あ け ま し た

ようこそ!2019年へ!ワァーオ!

 

長らく更新してなくてごめんよ...ごめんだで...。

年末年始にかけて仕事が大炎上しててブログとか頭をよぎることが一切なかった。

この継続力のなさ、イイ感じだで。

今日はたまたま早くあがれたから思い出して書いてる感じです。

 

もうほんと忙しかった!

ここ二か月くらいプロジェクトが火を噴いてるし、
そのクセ忘年会は延べ8回もあったし、
アプローチしてた女の子にはフラれるし、
年末に地元のメンツとするセッションに向けて不慣れなキーボード練習したり、
金も時間も体力も搾り取られた感じの年越しでした。
平成最後のコミケも行きたかったな...。

 

月並みですが今年の僕の個人的な目標を書こうと思います。
たぶん皆さん興味ないと思いますがこのブログ僕の自己満足以外の何物でもないのでご容赦願います。


1.資格試験に合格する


会社から取れ取れ言われてる資格、3回も落ちてる...。
もうほんとやばい、立場ない。


2.お金貯める


誇張抜きで貯金0円。
いい歳こいてさすがにそれはってことで。
まず酒断ちすればそこそこ節約できるとは思っているけれど、
少しでも金あると使っちゃうんだよなぁ...最近服とか買ったし。
宵越しの銭は持たないみたいな感覚が染み付いちゃってるんで、
まずそこの改善かな。


3.恋に恋しない


ほんとに好きだった子を除いて、とりあえず付き合ってみようかみたいな子、
長続きした覚えないし思い出もない、
取り立てて付き合ってよかったなとか良い経験になったなとかない。

今年付き合った子もそんな感じだったと思う。普通に二ヶ月で別れた。
正直焦りからかマッチングアプリとか駆使しだした節あるんだけど、
やっぱスペックだけ見て始まる関係ってなんかちげーわー。
うまく言えないけど就活してるみたいだった。
とりあえず面接受けて、向こうもとりあえず採用みたいな。

なんていうかお互い条件満たしていても、なんか合わないみたいな人いるんだよね。
逆にコイツ全然タイプじゃないとか趣味価値観違いスギィみたいな人こそ、
意外と輝いて見えたり。自分にないモノを求めるからかな。
俺すごいロジカルクソ野郎で何でも数値化して捉えたいタイプなんだけど、
恋愛に限らず友達とか同僚とか人間関係全般、
合う合わないなんだなって最近思い始めた。
「彼女欲しい」の一心だった=恋に恋していたって感じだったなぁ。
いい歳だから誰でもいいや感あったけど、
いい歳だからこそ本気になれる相手探さんとあかんね。
もう時間も金も、ひいては恋愛するエネルギーみたいなのも、
無駄打ちしてたら尽きてまうでホンマ。

ガキの頃みたいに夢中になれる人が欲しいな。
全身全霊を捧げてぶつかれるぐらい、アホみたいな恋したい。
周子みたいな彼女or周子が好きな彼女募集中。


きんもちわりぃなお前...


図らずも新年早々恋愛ネタになってしまった...。
すごい文章からナルシストっぽさを感じる。
こういう所改めないとまたボロ雑巾みたいに捨てられるで。
プラスでもう少し謙虚さみたいなのを身に付けようかと思いました。


というわけで今年もよろしくお願いさしすせそ。

 

オリジナルサイトのルール!

相互リンクは歓迎ですが、明らかに反社会的だったりウィルスいたりするサイト様は帰って、どうぞ。