晩 餐 会

オレのブログって、晩餐の取扱説明書みたいなもんだからな。

輝ける日々にサヨナラしたい

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「あの頃は良かった」から卒業したい

このブログ始めてからたぶん初になると思われるメンヘラ記事です。

僕が某SNSに投稿していた内容を転載します。

テーマは「過去の楽しかった日々をずっと引きずっている自分がいる」というものです。
このブログ向けに書いた内容ではないのでだいぶ攻撃的な口調になっていますが
ご了承ください。

 

長いのでお覚悟を

過去を美化したってしょうがないのは分かってるんだよ。
でもね、あの頃が楽しすぎて、もう一度あの頃みたいな気持ちになりたいって
何とも言えない焦りがずーーーっと続いてるんだよ。
輝ける日々すぎて、どうしても今の惨めな自分と比較しちゃうんだよ。

 
未熟な俺にとってこの気持ちは「足るを知る」なんて
高尚なお考えでごまかせるもんじゃないんだよ。
この気持ちを塗り替えることができるのは自分しかいないって分かってるんだよ。
努力するしかないって分かってるんだよ。
でも努力した先にあの頃と同じ輝きがあると信じきれないから、
結局何も本気になれないんだよ。

 

長続きしようとしなかろうと、いろんなことに興味持って、
今持てるリソースをつぎ込んで夢中になれたあの頃。
今は興味すら持てないんだよ。
熱しやすく冷めやすいんじゃなくて、ずーっと冷めっぱなし。
いい歳だから若い頃みたいなエネルギー量保てないってのは分かるんだけど、
にしても若い頃との温度差が酷くて正直キツイ。

 

そんで、毎日とは言わないけど家と会社の往復の日々、
精神がどんどん死んでいくのが分かる。
休みの日は疲れて寝る。
予定があれば外に出るけど、今はもうイベント
(アニメとかアイドルとかに限らず行事全般)があっても
「どうせ行ってもねぇ」みたいな理由付けて出かけ無くなってる。
まあ実際金も無いしね。
週明けに疲れが残ることへの恐怖みたいなものもある。

 

以前、ていうかちょっと前までは「今週乗り切ったらイベントだ!」とか
「お金貯めて旅行行くぞ!」とか自分の鼻先に人参ぶら下げて仕事頑張れた節があるんだよね。
でもさ、その人参が効果なくなってきてんの。
飽きたのか疲れたのか分かんないけど、モチベ向上につながらないんだよ。

そうなるといよいよ何の為に働いてるのか分からなくなってくる。
働くことは生きる為だとしたら、何の為に生きればいいか分からなくなってくる。
ここまで来ると自分でも考えすぎだって気づいて、
疲れるからこの話は止めようとか自分の中で無理に完結させる。
完全に思考停止してロボットになった方がラクな気がしてさ。

でもまあそれって自分騙して生きてるわけで、
心の中のシコリは残りっぱなしなわけね。
まあ生活してるだけでそのモヤモヤで気持ち悪くなってくるわけよ。
「気楽に生きてたまに暇潰しすればいーじゃん」って思うかもしれないんだけど、
その暇つぶしですらもれなくつまんなくなってきたんだよどうしようこれ。

 

意識高い系は仕事辞めて海外旅しろって言うんだろうけど
そんな金ねーし外人嫌いだから絶対やだよ。
独立しろって言うんだろうだけどじゃあ開業・運転資金くれよって話だよ。
そもそも旅も自分磨きも飽きたから、そんな月並な解決法求めてねーんだよ。

 

彼女欲しかったのもほぼそこなんだよね。
あまりにも人生つまらな過ぎて、
もう娯楽じゃなくて義務を背負いたいと思っただけなんだよ。
自分の娯楽の為じゃなくて、
誰かの為にって目的意識持って生きてみたら何か変わると思っただけなんだよ。

「デートあるんで定時で帰ります」「記念日に何か買ってあげよう」
「旅行で何処に連れて行こう」みたいな、
相手本位で生きてみるって俺にとっては新しい試みだったから、
それがこのハリのない生活の起爆剤になるもんかと思ったんだよ。

 

ちょっと前に東京以外の街で暮らしてみたいって言ってたと思うけど。
最近はその気持ちも薄れてきた。
確かに新しい環境で生活してみたいって好奇心はあるよ。
でもそれって俺が上京してから住居を点々としてきたことと
ほぼ同じ結果になるんじゃないのって話。
変化を愉しめるのは最初だけで、後はルーティンがまた始まるだけ。

じゃあ一生点々とすればって話だけど、
もうこの歳になるとその手の話にワクワクもしないんだよね。
「そんな引っ越してどうすんの?」って。
「海外移住しました♡」←「だから何?」みたいな。
新生活の先にある虚しさみたいなのもが透けて見えてきちゃうんだよもうこれ病気だろ。

 

金があれば変われるのかなぁ。
まあ資金不足を理由に手を出せなかった系のことに挑戦できるのはあるよ。
まず独立してアキバに事務所構えるでしょ。
後はザギンのキャバクラでクリュッグとかアルマンド空けたりさ。
幌全開でカマロ乗り回して、
意味もなく日本中に乱立してる別荘に松坂牛でBBQしに行ったりさ。

でもそれも楽しいの一瞬だけな気がすんだよなぁ...。
経験したことないから断言できないけど。
金持ちほど募金するって気持ち何となくわかるわ。
自分で使っててもしょうがなくなってくるんだろうな。
そうなると出家とかそういう話になってくるけど、
あれこそ何が楽しくて生きてるんだって感じだしな、禅問答か?

 

この滅びゆく国家で向こう60年(医学の進歩的にもっと長い?)生きるのは辛いなあ。
だからって海外に住みたいとも思わないけど。
高い税金以上に現地人と全くもって仲良くできる気がしないから。
まあどこも中国人とインド人と東南アジア人で埋まるだけだから
人間関係は国家間で変わらないかもな。

 

弱い人間やなぁホンマ。
迷ってないで行動したら結果が出て、
意外と活路が見えてくるかもしれへんっちゅーのに。
そんでダメだったら別の方法を試すって風に、
トライ&エラーでPDCAグルグル回せば何かしら掴めるかもしれないのに。

 

ここで某友人の顔が思い浮かぶんだよなぁ。
その友人は彼女欲しさから、出会いを求めてやれ怪しい異業種交流会だ
やれリア充の闊歩する社会人サークルだやれ偽善猿共の馴れ合い地域ボランティアだ、
結構長い期間あちこち飛び回っていた。
その果てに得たモノが「俺はこの女が好きだ」と自己暗示かけないと
付き合っていられない彼女。

虚しいね。虚しい。
もし彼が今の彼女と結婚したとして、それで彼が幸せだと言い切ったとして、
俺は彼の中にある底知れない物足りなさ・満ち足りなさを見抜く自信がある。
だって俺と彼は思考回路がクリソツだからな。
何をしたって満たされないのさ、ずーっとそれで苦しんでる。

ロジカルに考えすぎるあまり、坊さんみたいに欲を捨て去るなんて考えを
素直に受け入れられない。
欲がないと人間は成長できないと思ってる節あるからな。
実際には欲がないからこそ成長した大器っていうか、
偉い人とか素敵な大人とかいっぱいいるんだけどさ。


常に目標って餌を目掛けて、速度は遅かれ早かれ、
一応走り続けているって前提がないと生きられないんだ。
目標を失って止まった瞬間、脳味噌がこんがらがった挙句、
腹を水面に浮かべてプカーっと死ぬマグロなんだ俺達は。
彼はきっと出会いを求めている間は、ダメだった時の目標として
「次の出会いのステージ」を設定することで走り続けていたんだ。
そしてドンドン新しいコミュニティを開拓していった。
その行動力には脱帽するわ素直に。


ハッキリ言って俺は敗者だよ。
完全に。
何を言っても負け犬の遠吠え。
別に争っていたわけじゃないけれど、
上記のやり方で彼女をゲットした彼、つまり結果を出した人間に
偉そうに並べられる御託なんて持ち合わせちゃいないさ。
だから「彼は本当は虚しいはずだ」なんて俺の勝手な想像は、
たぶん彼にとって不快なだけの、自分より下位レイヤーの男の嫉妬だろう。

 

これまた別の某友人が「晩餐は理想が高い」って言ってたけど、
やっと意味が分かってきたよ。
それは美人だとか、性格良いとか、
そういうスペック的な理想だけを言ってるんじゃないってこと。
「俺はドラマみたいな恋愛像って理想を追いかけて、
本気で好きになれる人が来るのをずっと待っているから
目の前に来たチャンスを逃す」って言うのが俺の気付いた新たな解釈。

 

たぶん「付き合ってみたら好きになるかな」から始められないタイプなんだよな。
付き合った先の虚しさが垣間見えるから。
もう以前血眼になって連絡先好感した女の子達とも連絡とってないしね。
向こうから切られたのもあるけど。
たぶんあの頃は女の子口説くのが言語ゲームとして新鮮で面白かったんだな。
つくづくクズやで。

 

 

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ここで俺の好きな三島由紀夫の言葉をかいつまんで紹介。
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~(中略)~
 それでも、人間の生命というのは不思議なもので、
自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない。
 というのは、なんか人間は理想なり何かのためということを考えているので、
生きるのも自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
 すると、死ぬのも何かのためということがかならず出てくる。
それが昔言われた“大義”というものです。
 そして、大義のために死ぬということが、人間のもっとも華々しい、
あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方と考えられていた。
 しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態というものは
大義なんてものがいらない政治形態ですから当然なんですが、
それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、
生きていることすら無意味であるというような心理状態がないわけではない。
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上記から導き出せる答えは、

この俺の人生のつまんなさは俺のエゴから来ているから、エゴを超えるもの、
つまり全てを捧げられるくらい夢中になれる何かか、愛せる誰かがいれば、
このクソみたいな底辺生活もイキイキするんじゃないかなんて淡い期待を抱いただけの話なんです。
そしてそれは今のままでは掴めないモノなんです。
運が良けりゃ話は別だけど。

 

この長い話の大筋としては
「過去の栄光にすがっていても今は楽しくならないので、
今を変えようと頑張りたいところだけど、
頑張った先の虚しさがチラ見えしてイマイチやる気が起きないんですよねー。
夢中になれる何かがある/誰かがいることで変われるかもしれないけど、
それを探すのはオッサンにとってはなかなか重労働です」ってこと。 

神室町ヒルズのてっぺんから百億降ってくるとか、空から美少女降ってくるとか、
そんな0%じゃないけど天文学的に低い可能性に賭けたってしょうがないでしょ。
「おもしろきこともなきよをおもしろく」で、
今つまんねーならおもしろくなるよう頑張れよ。
それがオッサンにとって重い腰を上げることによる腰痛を伴うものでも。

 

くっせぇなお前...

冬の、こういう予定のない三連休とか寂しい時期になると、
↑の文章みたいなメンヘラこじらせます。
小さい頃から深く考えすぎな子供で、
死後の自分について考えだしたら止まらなくなり、
親に相談しながら号泣していたこともあります。
大学時代はドイツ哲学専攻していたこともあり、現職はSE。
生まれてこの方、考えてばっか・悩んでばっかの人生を送ってきました。

皆さんは何を考えて生きていらっしゃいますか?
「特に何も考えずに生きている」という人はそれでいいと思います。
それは才能です。
余計な雑念を排除し今を生きることのできる、才能です。

僕は自分を不満足なソクラテスとは思っていません。
この世界に従順でいることを渋々承諾しつつ、
内心では満たされない思いにもがき苦しむ、不満足な豚です。
悪いトコ取りの存在です。

皆さんは仏教の六道における 餓鬼道というものをご存知でしょうか。
刃牙道ちゃいますよ)

地獄の存在有無はこの際置いておいて、
今の僕の心境だけなら餓鬼道みたいな感じです。

ずーっと飢えと渇きに苦しみ、やっと手に入れたと思えた飲食物。
喉を通ったと思いきや、全く持って満たされない。
次から次へと飲食物を求めて彷徨うけれど、何を食べても、
いくら飲んでも、一向に満たされない。

何が怖いって、この苦しみの終わりが見えないことなんですよ。
いつかは満たされる日が来るだろうと思っていても、
そのいつかは保証されていない。
来ないかもしれない、そう考えると希望なんか持てない。
夜と霧じゃないけど、希望が無いと生きる力が失われていくんです。

希望がない=常に不安や恐怖や焦りが胸の中にうずまいてる状態なわけです。
その一例として挙げられるのが、こんな寒い真冬の深夜、
六畳間で独りのSEがのたうちまわっているこの構図です。

オリジナルサイトのルール!

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